スペインとポルトガルの関係について!過去の歴史から現在の様子までを詳しく紹介

Spain Portugal Mediterranean - WikiImages / Pixabay

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スペインとともにイベリア半島に位置するポルトガル。

共にピレネー山脈の西側のヨーロッパ西の端に位置しアフリカ大陸からほど近いラテン系の国ですが、それゆえにそんな2国間の関係が気になるという方もいるのではないでしょうか。

スペインとポルトガルは言語も文化も似ているというイメージがあったりもしますよね。

そこでここではスペインとポルトガルの歴史を紐解きながら、過去から現在までのその関係を紹介していきたいと思います。

現在のスペインとポルトガルの関係

Portugal Lisbon Porto Harbor Port - Free-Photos / Pixabay

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現在のスペインとポルトガルの関係ですが、基本的に友好関係にあります。

後で詳しく述べますがスペインとポルトガルの歴史は併合あり侵略ありで決して常に仲良しだったわけではありません。

それでもスペイン人とポルトガル人は一般的にお互いのことを好意的にとらえていますし、少なくともスペインでは多くの人がポルトガルのことを親戚のように感じているように思います。

スペイン人は東側のお隣さんであるフランスに対してはあまりいい感情を持っていないので、それと比べると大違いですね。

スペイン語とポルトガル語は似ているの?

スペイン語とポルトガル語は似ているとか、スペイン人とポルトガル人は自分の言語をそのまま話しても会話が通じるといった話を聞いたことがある方も結構いらっしゃるのではないでしょうか。

そこでうちのスペイン人の旦那に改めて聞いてみたのですが、そんなことないと言われてしまいました。

スペイン語もポルトガル語も同じラテン語から派生した言葉なので確かに文法は似ているし単語も同じような綴りのものが多いんですが、スペイン人からすると“いや、でも違う言語だし、やっぱりわからないよ”といった感じのようです。

スペインのスーパーで売られている商品はスペイン語とポルトガル語が併記されている商品が多いのですが、単語が似ていることや同じなこともあるものの全然違うことも結構あります。

そして試しにポルトガル語の商品説明を読んでみたんですが、やっぱり理解できませんでした・・・。

多分改めてポルトガル語を勉強しようと思ったらスペイン語と似ているところが多くて理解しやすいんでしょうが、スペイン語を話せるからといって簡単にすぐポルトガル語も話せるようになるというほど簡単ではないんだろうなと感じます。

スペインとポルトガルの歴史

Porto Portugal River Douro - nuno_lopes / Pixabay

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次にこれまでの歴史の中でのスペインとポルトガルの関係を簡単にまとめて行くことにしましょう。

これを読んでもらうとなぜスペインとポルトガルが遠い親戚のような関係性なのかが分かってもらえると思います。

スペインとポルトガルの建国の経緯

スペインとポルトガルの建国の経緯は非常に似ているというか、途中までは同じ道のりを経ています。

そして実はポルトガルの方がスペインより早くできているんです。

時は8世紀イベリア半島にイスラム勢力が侵攻しキリスト教徒の国であった西ゴード王国を滅ぼしました。

イベリア半島はイスラム勢力のウマイヤ朝の支配下に置かれることになったのですが、スペイン北部で新たに成立したアストゥリアス王国(のちのレオン王国)を中心にキリスト教徒の小さな王国が沢山出来イスラム勢力からイベリア半島を奪回する戦いを始めます。

1492年まで続いたこの戦いは領土奪回の戦い=レコンキスタと呼ばれていますね。

小国の中で特に強い力を持ちレコンキスタの主役だったのがレオン王国、アラゴン王国、カスティーリャ王国です。

そしてレオン王国の一部が1143年にアフォンソ・エンリケスの掛け声により独立したのがきっかけでポルトガル王国が誕生しました。

その後アルフォンソ1世と名を改めたアフォンソ・エンリケスが南部まで勢力を拡大し、今のポルトガルになっています。

スペインが誕生するのはそれから300年以上先。

レオン王国がカスティーリャ王国に統合され、最終的には1479年にカスティーリャ王国とアラゴン王国が結婚という形で連合王国になったことでイベリア半島にあった小国は統一されスペイン王国となりました。

その後1492年にイスラム勢力の最後の砦であったグラナダのアルハンブラ宮殿陥落によりレコンキスタが完了しています。

この歴史の流れからスペイン(の一部であったレオン王国)とポルトガルはもともと同じ国だったことが分かっていただけたのではないでしょうか。

レコンキスタの途中にポルトガルだけ独立して王国を築けたのは当時のローマ教皇の口添えがあったからだと言われています。

レコンキスタ後のスペインとポルトガルの関係

スペインでレコンキスタが完了する前一足先に独立王国となったポルトガルは地中海の航海の自由化に伴い交易の中心地となって行きます。

ポルトガル国王フェルナンド1世はカスティーリャ王国を自分のものにするために3度にわたって進攻しようとしますが、全て大敗に終わりました。

その後今度はカスティーリャ王国側がポルトガル王国に侵攻するものの、ポルトガルは何とかこれに耐えて独立を保ちます。

ポルトガルは大西洋やアジアに進出し勢力を拡大していきましたが、スペインがレコンキスタを完了したのと同じ1492年 にスペインのイサベル1世が援助をしたコロンブスがアメリカ大陸を発見。

大航海時代の幕開けとともにスペインは黄金時代へと突入します。

さてスペイン王国とポルトガル王国は別々の国となった後も婚姻関係により親戚同士のような関係でした。

そして1580年ポルトガルで国王の後継争いが勃発した際、当時のスペイン王フェリペ2世も後継者として名乗り出てその戦いに勝利。スペインがポルトガルを併合します。

ポルトガルだけでなくポルトガルが世界中に持つ植民地もスペインのものとなり、スペインはさらに隆盛を極めていきました。

しかしそんなスペインもイングランドの台頭により衰退の一途をだどるように。1640年にはポルトガル革命が起こり、ポルトガルがスペインの統治から独立することになります。

19世紀以降のスペインとポルトガル

19世紀に入ってそうそうスペインはフランスとともにポルトガルに侵攻し勝利します。スペインはポルトガルから賠償金とオリヴェンサの地を得ました。

ただそれから10年もしないうちにスペインとポルトガルの両方ともナポレオン率いるフランスに侵攻されてしまいます。

後に共にフランスの占領に打ち勝つものの、その後スペインもポルトガルも内政が荒れに荒れます

どちらも王政と共和制が短い期間で入れ替わる中で軍部から独裁者が出現

ポルトガルは1976年に、スペインは1978年に独裁政治が幕を閉じ民主制に移行したことで、今のような国の体制になりました。

 

スペインの歴史について詳しく知りたい方はこちらの記事もぜひご覧くださいね。

スペインの歴史について!古代から現在までの複雑な道のりを分かりやすく解説
スペインはヨーロッパの国の中でも特にユニークな歴史を持つ国です。スペインのあるイベリア半島には古代から人が生活していたのですが、スペインがカトリック王によって統一されたのは15世紀のことでさらに今のような体制になったのは1978年とわずか4

まとめ

スペインとポルトガルは国の成り立ちも似ていれば、その後の歴史も似ている点が多いです。

イベリア半島がイスラム王朝の支配下に置かれていた時代、沢山あったキリスト教徒の小国は妥当イスラム勢力で団結していたわけではなく互いの勢力拡大のため小競り合いを繰り返していました。

イベリア半島に2つの国ができたのはこうした小国の勢力争いによるものなんですね。

元は同じと言ってもいいスペインとポルトガルは建国後もお互いに侵攻したり併合があったりしたものの、現在は至って良好な関係でお互いの国民のお互いに対する感情もポジティブなものが多いです。

やはりそれは国の発症が同じところからというのも大きいのではないかなと思います。

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