スペイン内戦について!スペインの暗黒時代をわかりやすく解説

スペインが1975年まで40年近くの間フランコによる独裁政権に支配されていたことを知る方はあまり多くないかもしれません。

スペインに独裁政権が誕生したきっかけはスペイン内戦です。

スペイン内戦はフランコ率いる反乱軍側についたのがドイツのヒトラーとイタリアのムッソリーニというファシスト達、スペイン政府と民衆側に着いたのが当時同盟関係だったソ連だけ、フランスやイギリスなど西欧諸国は無視を決め込むという本当に酷い構図でした。

ピカソの大傑作である『ゲルニカ』が生まれるきっかけになったこの内戦について、できるだけわかりやすくまとめていくことにします。

スペイン内戦が起きた背景

まずは何が原因でスペイン内戦が起きることになったのか、その背景から見ていきましょう。

19世紀初頭にナポレオンがスペインに侵攻して以降、スペインの内政は不安定な状態が続きました。

7年程でナポレオンの支配を退けるもののその後一度王政に戻ったのちに6年間民主主義の共和制となり、約30年間王政復古を経たのちに軍のクーデターによりプリモ・デ・リベラの独裁を年間経験することになります。

この独裁政権は民衆の革命運動によって退けられることになり、1931年スペインに選挙による第二次共和制時代が訪れました。当初政権を握ったのは左派政党で、共和国憲法も制定されています。

第一次世界大戦の影響で貧困が広がるスペイン国内で左派政権は農地改革や労働者の権利保護、さらに政教分離などの民主化政策を推し進めました。でもこの改革に大地主や教会など権力者が抵抗を見せます。

しかも当時の労働組合が暴力的な傾向があたのも関係し次第に左派への支持は減っていき、1933年の選挙で右派が勝利します。しかもこれによって左派と右派の間で小競り合いが起こりました。

改革を進めたい左派は何とか1936年の1月の選挙で政権を奪回し、スペインの民主化がさらに進む機運が高まりました。ただこの後も右派と左派の衝突が続き、双方の要人が暗殺される事態になります。

そして1936年の7月右派ファシストのエミリオ・モラが軍部を掌握し反乱を企て、当時スペイン領だったモロッコで軍隊を率い蜂起しました。後にエミリオ・モラからフランコが反乱軍の指揮を任されることになります。

スペイン内戦の経緯

民主主義国家として本格的に歩みを始めた矢先の軍部の反乱に、スペインの人々は抵抗しました。民衆は共和党率いる人民戦線政府側につき、反乱軍に戦いを挑みました。こうしてスペインは内戦へと突入していきます。

人民戦線政府と反乱軍への国際支援

ファシストに率いられた反乱軍は同じファシストが政権を握っていたドイツやイタリアから武器や戦闘員など手厚い援助を受けました。ドイツは当時スペインに軍の部隊とともに戦車や戦闘機まで派遣しています。

一方民衆の支持を集める人民戦線政府はフランスやイギリスなど周辺の民主主義国家に応援を頼みましたが、イギリスもフランスも不干渉政策を取り人民戦線政府に武器の提供などの支援が行われることはありませんでした。

唯一当時同盟関係だったソ連が支援を申し出て、武器や軍の部隊などがスペインへ送られました。また欧州やアメリカからスペインの民主主義を守るため志願兵や医療チームが集まります。

人民戦線政府は反乱軍からの度重なる攻撃にも関わらず首都のマドリードを死守するなど、スペイン国土の大部分は反乱軍の攻撃を退けていました。

ただドイツやイタリアの強力な支援を受けた反乱軍はスペイン北部で次第に勢いを増していきます。北部の主要都市は次々に反乱軍の手に渡り、極めつけに1937年4月にバスク地方の小さな都市ゲルニカでドイツ軍が民間人を巻き込む空爆を行いました。

当時フランスで暮らしスペイン内戦を案じていたパブロ・ピカソはこのニュースに激怒し、あの有名な反戦の絵画『ゲルニカ』を制作しています。(『ゲルニカ』はピカソの遺言により後に成立するフランコの独裁政権が終焉を迎えたのちスペインに贈られました)

北部を完全に掌握した反乱軍はその後スペイン内部のアンダルシアにも勢力を拡大しました。

そして1938年の7月スペイン内戦の中で最長にして最大の戦いがエブロ川周辺で起こり、11月まで続いた衝突の中で人民戦線政府側が非常に大きなダメージを負います。

すかさずカタルーニャ地方に侵攻したフランコは1939年1月にバルセロナを陥落させ、なんとフランスとイギリスからの承認を取り付け独裁政権を成立させます。

多くの共和党員や大統領までもがフランスに逃げ出す中、それでも民衆が抵抗をつづけたマドリードも3月にとうとう陥落し、フランコは勝利を確実なものとしました。

スペイン内戦の終わり

スペイン内戦終了後フランコの独裁政権は1975年まで40年近く続くことになり、その時代スペインの人たちは弾圧に耐え続けることになります。

ファシストの台頭で当時欧州が難しい情勢だったことは否めませんが、民主主義を守るために共和党政府とともに立ち上がったスペインの人たちを結果的に見捨てることになった周辺国の対応にどうしても疑問が残ってしまいます。

スペイン内戦が終わって半年もたたないうちに今度は第二次世界大戦が始まりました。あれだけファシストからの支援を受けていたフランコですが、第二次世界大戦にドイツやイタリアにつかずになんと中立を宣言します(ソ連に仕返しの群を送ったりはしたようですが)。

その後フランコにより長い長い独裁体制の下に置かれたスペインは第二次世界大戦の戦勝国や敗戦国よりも大幅に発展が遅れ、人々は長い間貧しい生活を余儀なくされました。

フランコ体制は革命ではなくフランコの死によって幕を閉じます。フランコが後継者に指名したスペイン王のファン・カルロス1世がスペインの民主化を決定したことで、ようやくスペインの人々に自由が訪れました。

スペインの歴史についてはこちらの記事に詳しくまとめているので、もしよろしければ参考にしてください。

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まとめ

スペイン内戦は両軍による残忍な行為や、共和党とアナキストの一枚岩ではいかない関係などもっと複雑な要素をはらんでいますが、ここではできるだけわかりやすくきっかけや経緯をまとめました。

スペインで内戦があったこともその後長らく独裁政権下に置かれたこともあまり知られていないかもしれませんが、この時代のダメージはいまでも確実に当時を知る年配のスペイン人の方の心に残っています。

またつい最近でもフランコのお墓をどうするかでスペインを二分する議論が巻き起こりました。

今はもちろん民主主義が定着しEU加盟国として経済的な発展も遂げたスペインですが、こんな過去があったことも知っていただけるといいなと思います。

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